人形町ゆるりお散歩ガイド
江戸情緒が残る日本橋人形町。人形町をゆるりとお散歩してみませんか?甘酒横丁や神社などの見どころや、美味しいグルメ、ランチスポットなどの情報を人形町生まれで水天宮そば在住の筆者がお届けします!
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蛎殼銀座跡
「蛎殼銀座」と呼ばれた貨幣を作ったり、扱っていた銀座が、現在の日本橋人形町1丁目5・6・7・17・18番地域にありました。
(ちなみに「蛎殼」の読み方は「かきがら」です)
現在ではその名残がない変わりに、跡地を示す案内板が人形町通りと甘酒横丁の交差点に立っています。
「蛎殼銀座跡」周辺の動画です。
蛎殼銀座跡は、佃煮屋の「ちとせ屋」さんの目の前にあります。
こちらの「ちとせ屋」さんは佃煮ももちろん良いのですが、「紫花豆(はなまめ)」という煮豆が有名で人気です。
煮豆がお嫌いでなければ、是非一度食べてみてください。
きっと気に入ると思います。
中央区の地名にもなっている「銀座」とは、そもそもは戦国時代の頃より各地に現れた両替商兼銀細工師である銀屋といった業者がその前身であり、豊臣秀吉が銀貨の統一をはかり、関西の銀吹き職人を集め常是座を設けたことが「銀座」の始まりです。
常是とは江戸時代の銀座役人の世襲名のことです。
江戸時代、徳川家に認められた特権的な御用達町人により流通貨幣の銀貨が鋳造され、幕府は他での貨幣鋳造を厳しく取り締まりました。
この辺りで「銀座」という名がいわれるようになったのではと推測されています。
慶長17年(1612年)、通町京橋(現 東京都中央区)より南へ四町までを拝領した地を新両替町とし、すなわち江戸銀座となりました。
寛政12年(1800年)、江戸銀座における不正行為が発覚。
江戸銀座は改革と粛正の上、翌1801年、蛎殼町へ移転となったのです。
また京都、京橋で行われていた貨幣鋳造はこの蛎殼銀座に集約されることとなりました。
明治2年、明治政府はそれまでの金座、銀座を取りやめ、太政官に造幣局を設置します。
70年近く銀貨鋳造を行ってきた蛎殼銀座はこうして姿を消したのです。
今日の銀座二丁目に銀貨鋳造所である「銀座」が開かれてから約200年後、幕府は銀座の組織改革を行い、座人の御役取放を命じ、享和元年(1801年)日本橋蛎殻町に銀座を移しました。この地は、蛎殻銀座と呼ばれ、明治2年に造幣局が新設されるまで、68年間、銀貨鋳造が行われました。
■蛎殼銀座跡への行き方(アクセス)
・人形町駅から
甘酒横丁の交差点の親子丼の「玉ひで」さんのある角を目指してください。
人形町駅のA2番出口があり、その横に佃煮屋の「ちとせ屋」さんがあります。
その目の前に「蛎殼銀座跡」があります。
■グーグルマップで蛎殼銀座跡を見てみる
■グーグルストリートビューで蛎殼銀座跡を見てみる
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